今日あるLIFE VIDEOを作らせていただいた方のご子息お二人と食事をした。
とても喜んでくださっていた。
そしてそのLIFE VIDEOに加えた"ある工夫"に関して「なぜか?」と聞かれた。
それはインタビューして感じたことだから、そうした。
この人は「自分の人生をこうとらえているのではないか?」と思ったから、そのようにした。
その工夫が何か? に関しては言えない。
しかし、それは本人がリクエストしたことではなく、こちらが"感じて"勝手にやったことなのだ。
振り返ってみれば、テレビ番組もそうやって作ってきた。
誰も「アポなし」が見たいとは言ってくれない。
誰も「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が見たいとはどんなアンケートをしようが、調査をしようが出てこない。
『ものを作る』とはそういうことだと思っている。
顕在化したニーズではなく、潜在化されているニーズに応えること、それが『作る』ことだと。
今ウケているもの、を分析したところで潜在的ニーズにはたどり着かない。
それは"感じる"ことしか行き着かない。

だからLIFE VIDEOもその人の「注文」に応えるのではなく「その人の潜在意識」にたどり着こうとする。
そういう作り方しか知らないからだが。