LIFE VIDEOには演出スタッフが複数いて、それぞれが独立していたり助け合ったりしている訳ですが
完成したものは放送される訳ではないので
お互いの作品は完成した時に集まって見合うしかない訳です。
で、そこで「LIFE VIDEOとは何か?」をレベル合わせをする訳です。
これは言ってみれば「プロ同士」の呼吸を合わせる、みたいな作業です。
言ってみれば「LIFE VIDEOとは何か?」というのは言葉では何通りか言い表せることができるような気がするが
では「それを作りなさい」と言われると「何が正解で何が不正解」は何とも答えようがない問いになる訳です。
でもディレクターたちは「LIFE VIDEOを作らなければならない」
で、こういう会で「LIFE VIDEOの今回の解」を見て"感じて"次の自分の担当回に活かそうとする訳です。

今日見合ったのは先週納品した『新居浜の実業家65歳男性』と『東京で退官した大学教授68歳男性』の2本の作品でした。
それぞれ素晴らしくいい作品ができたと思っています。
そしてみんな見た後に思うんです。
「これ全然放送できるよな」

それだけ見応えがあるんです。
つまり人物ドキュメンタリーって当たり前ですが
「知っている人である必要はない」んです。
知っている人かどうかでなくて
「その人の人生に心動かされるかどうか?」なんです。
でもテレビって「知らない人にしても何か特別な人」
でないとドキュメンタリーでは取り上げていない、ような気がするので
「普通の人の人生は見る程のものではない」って思い込んでいるんでしょう。
でもLIFE VIDEOをやりはじめてどんどん確信しているのは
『全ての人の人生は面白い!』
という事です。
それをディレクターたちが掬い取れることができるかどうか?
が問題なだけで
本当に『全ての人の人生は全ての人の心を打つ』
ものなのです。

で実は僕はいつもそう思っているので
今日の試写会では
「放送するならどうだろう?」
と思って見てみようと思ってそうしたのです。
そうすると
もちろん十分に放送に値する面白さがあるんですが
放送する形を「1.0」とすると「1.1~1.2」くらいの形なんです。
つまりもし放送するなら1割から2割切った方が良いな、と思ったのです。
でも『LIFE VIDEOとしてはこれが正解!』とも改めて思った訳です。

LIFE VIDEOは誰のためにあるのか?というとその本人の為にある事が一番の存在理由です。
で、この放送するなら、つまり「本人の事を知らない人が見るのだったら余分な1割から2割」
これが「本人にとってはなくてはならない部分」だと思うのです。
それが何か?
と聞かれると具体的に答えることはできないんですが
「本人が最初のそして最大の視聴者だからこそココは切らずに残したい」
というところがあるのです。
それをキチンと残してあげる事がさらにLIFE VIDEOの制作をするという事なのだと思っているのです。
きっと奥さんや子供たちもそこは感じるところだと思います。
でも本人がそこの1割、2割が心の深いところに届くんだろうと思っているのです。

それが「見る人を徹底的にイメージすることができる」
プロのディレクターだと思っているのです。