LIFE VIDEOでわかりかけてきたこと
10 September
たまにはtwitterからの引用ではなく
こちらから本文を。
なぜいわゆるブログを書き続けられないか、っていうと反応がないからですよね。
コメントがこれまで20回弱書いてきて一つかな。
それをこの前の会議で「なぜこのブログを書かないか」の言い訳で言ったら
「もうブログのコメント欄に書き込まれるってないですよ」と言われた。
そうだよね。これもtwitterとFacebookに流れるようになっているので
そちらに反応すれば、このコメント欄に書く必要はない、ってことになるんだろうな。
で、その反応がないと書き続けれないってことをブログをやっていたtwitterやFacebookの創始者たちは思ったんだろうな。
それでより簡単に反応できる方法、RTや「いいね!」を作ったんだろう。
それでこの先はどうなるんだろう?
5年先が同じでない事は明らかなのだから
誰かが何かをやっているんだろう。
でもきっとそれは「人はリアクションがなかったら書き続けないよ」とか「簡単なものしか人はしないよね」とか
「でもそれはサイトビューは何人、と言う数字だけじゃダメなんだよ」とか
ベイシックな人の感情に根ざしたものであり
それで、この文脈の先にあるもの
「人は何かを言いたい(ブログ)」→「でも反応がなかったらやり続けない」→「反応とは人の意志が感じられるものでないとダメだ(twitter,fb)」→「お金を払ってくれるのが最大の意志だ(有料メルマガ)」
なのだろうが。だからやってみるしかその先はわからない。
さて反応と言えば、僕らは長らく視聴率というものでやってきた。
でもこれを人数にする習慣があるテレビマンはあまりいないんじゃないかな。
僕は7年前に「第2日本テレビ」をやったり、その前に汐留でイベントをやってリアルな人が何人来るかを気にしたりしたから
1%は全国では60万人。関東ローカルでやっていたら37万人。ってカウントするクセがついてしまったけれども
多くのテレビマンは「二桁いったら安心。一桁の下の方はヤバい」っていうことで
視聴率という反応を自分の中の尺度にしているのかも知れない。
だから最初はさっき書いた「第2日本テレビ」で、再生数37回とか出ると、正直「ハ〜?」って受け止められていなかったと思う。
その数字の実感が、その前の1%=60万人と差がありすぎてわからないんだね。
でもそれが32になり24になり17になり5になって、ついに再生数0っていう数字を見たときに
(まあ例えだけれども、何百本あるVTRのある一本の再生数が)
1のありがたさ、がわかった。
だから地上波テレビってビジネスモデルは本当にスゴいと思う。
これは60年掛かって先達たちが作ってきたもんだと。
今のテレビマンはそれを維持しているだけだと。
イヤひょっとしたら...。
反応がなくてはものは作れない。
そしてその究極に行った時に、自分はものを作れるのかって試してみたかった、というのは正直ある。
それがLIFE VIDEOのディレクターだから。
で一本目作ってみた。
ディレクターがする事ってテレビと全く同じだ。
どう面白いものを与えられた環境の中で撮るか?
そしてそれを如何に面白くつなぐか?
先日完成して本人のところに配送された。
そして
「午前中に配達されてから何度も何度も見ています!ありがとう!」
って電話をもらったって報告が来て
ああ、一人の反応の喜びで僕は作り続ける事ができる!
って改めて自分で確認できて...
まあ、よかった、と。
(こう思えなかったらどうしたか?)
まあ、そんなことがLIFE VIDEOをやっていてわかりかけてきたよっていう
与太話でした。
コメントする